陶來(とうらい/TOURAI)岩手山麓・磁器食器専門工房、実用的であり、美しい。毎日使える、職人メイドの磁器。

陶來の器、その美しさ陶來の器を初めて見た時、その凛とした白さ、まるで茹で卵のような滑らかな質感に目が釘付けになりました。白と言っても大量生産の磁器の白さとは明らかに違う、内側から沸き立つような白。青味がかったその色は、「澄んでいる」という表現がぴったり。「この器は他とは違う」そう感じずにはいられない存在感。1個1個の器に毅然とした美しい佇まいと包み込むような温もりがあります。/陶來の器の作り手、大沢和義さん作り手は大沢和義さん。岩手県の滝沢村で工房「陶來」を構え、作品を作り続けています。 出身は岩手県盛岡市。東京の大学でコンピューターを専攻していましたが、「一生できる仕事をしたい」と職人になることを決意。その際、地元でできる鉄器職人か陶芸家か迷った末、陶芸家の道を選択。東京の美術の専門学校で陶芸を専攻し、卒業後、愛媛県の砥部焼の窯元で技術を習得しました。 なぜ修行先に砥部を選んだのかというと・・・ 現代の焼き物の主流は「石膏型を使った機械ろくろ」と「鋳込み成形」。どちらも大量生産に応じた手法ですが、機械的な単一の仕上がりになってしまいます。日常の生活で使える器作りを信条とする大沢さん。一人でも、大量に生産することができながら手を加えることが可能な手法を学びたいと思っていました。そこで修行先に選択したのが量産できる一方で手仕事が残っていた砥部焼。ろくろ職人、絵付職人、色々な職人さんが大勢いる中で仕事をし、そこで10年間で全工程を学んだそうです。 そして、10年を機に岩手に帰郷して工房を構えました。「砥部に10年いたら工場長に『いつまでいるの?』と言われて(笑)。いずれは帰ろうと思っていたので、35歳を前に岩手に帰ってきたんですよ。」当時のことを、大沢さんはこんな風に振り返ります。 意識を変えたひと言「なんでみんな普通のものを 作らないんだろう?」独立半年後、大沢さんは販路拡大のため作品を詰めたリュックを背負って東京の店を回りました。ところが、行く先々で断られてしまったそうです。 東京最終日、自分の食器を置いてもらうことを目標にしていた店に行き、オーナーに見てもらったところ、すぐに「帰っていい」と言われたそうです。(やっぱりか・・・)帰ろうとした大沢さんの耳に「なんでみんな普通のものを作らないんだろう。」という、オーナーのひと言が聞こえました。 そして、「ちょっと待って」とオーナーは大沢さんを呼び止め、金庫から持ってきて見せた物・・・それは、古伊万里の器。「器と言うのはこういうものだ。」とオーナーは大沢さんに言いました。そして、「また来いよ」と告げたのです。「今思えば、独立したての頃は『自分を見てもらいたい』という思いがあるからこねくり回してたんだね。」と、大沢さん。その後、大沢さんは自身の作品を見つめ直し、「これはいらない、あれはいらない」と、シンプルながらフォルムの美しさを追求していきました。 こうして、形も色も余計な装飾を排された、大沢さんのスタイルが確立していきました。 その後・・・初めて売り込みに行ってから半年が経った頃、再度古伊万里を見せてくれた店に大沢さんは自身の作品を送ってみました。その結果・・・ 現在、そのお店では大沢さんの器が常設されています。 陶來の器、その使いやすさ陶來の器は、磁器。土の味わいを感じられる陶器と比べて、洗練された白さ、つるっとした滑らかさが持ち味です。 土から作る陶器と違って、磁器は「陶石」という石から作るため、硬質な肌触り。陶來の器が持つ滑らかさ、シャープな質感は確かに石ならでは、と納得です。 しかし、陶來の器はその見た目の美しさだけが美点ではありません。大沢さんには、根底にある思いがあります。それは・・・ 「器は本来『ものを入れるもの』だから、丹精込めて作った自分の器は日常で使ってほしい」ということ。「器は料理の引き立て役だから、必要以上のことはしない」ということ。「日常の中で使う食器こそ、工芸品の王道」ということ。 一貫したその思いが、器に使いやすさを生んでいるのです。 実際に日々、陶來の器を愛用している石川さんがこんな感想を伝えてくれました。  「大沢さんの器は、食べ物を入れると一層映えるんです。 『そば丼』は、具をいっぱい入れても下品になりません。 もやしをたくさん入れてもこぼれないんです(笑)」  そういえば、見せていただいた丼は、やや深め。これならたっぷり入りそうです。 それなのに、決して「大きい丼」という印象はなく、 心地良い大きさに収まっているのが不思議です。さらに石川さん。  「既製品の器って、『もうちょっとこうだったら良いのに・・・』って思うことが多いけど、 大沢さんの器は使い勝手がすごく良いから、食器棚から出す頻度が高いんです。 一度使ってみると(あ、こういうことだったんだ)って分かります。」その使いやすさ、料理映えから料理を作るプロからも好評で、リピーターが多いのも納得です。 自然の力とこだわりの製造法それにしても、陶來の器にはえも言われぬ青味を帯びた品のある白さがあります。それはどこから来るものなのでしょうか。 「器の青みは、全て原料に含まれている鉄分から発する、自然の青みです。ことさら顔料を加えているわけではありません。私は天然至上主義ではないのですが、自然にはそういう力があります。白磁で作って見れるもの、白磁でも売れるもので絵付けします。柄はあってもなくても良い。全ての器を白磁だと思って作っています。」と、大沢さん。 白磁という器は、その時代時代で「白」を追い求めてきました。ひと口に「白」といっても、その時代で表現できる「白」には違いがあります。 「古い器が良いものだからと言って、当時の白の色をそのまま再現するため、ちょっとくすませたり、反対に、綺麗に白を出したいからと言って、科学的な材料を入れるということは違うなと。その時代に合った『時代性』が大切だと思うんだ。」と大沢さんは言います。また、製造法にもこだわりがあります。大沢さんの作り方は、ろくろ成型(手作業)。磁器を作る粘土は陶器を作る粘土ほど粘性がないので、形を成型するにはかなりの技術を要します。 大沢さん曰く、粘土が様々な方向を向いたまま固まると、仕上がりにゆがみが出る。そこで重要になるのが、ろくろを使い、手で粘土を上下に動かして土の状態を整える「土殺し(つちごろし)」。 「土殺しをしていると、ある時を境に粘土がスルーっとした手触りに変化するんです。それを手の感覚、感触で分かるようになるには10年はかかりましたね。そうして伸ばし切った粘土から作られた器は、粘土が伸び、粒子が開放され一定方向に定まって行くので、見た目に無理がなく、陶器の質が良くなるから伸びやかな印象になるんだよね。」と大沢さん。 「手作り」への思い大沢さんの器に対する考えはシンプルです。「まずは形、次に質感、最後に模様です。」使いやすい形、しっとりした質感、自然の色合い。人間にとって「心地よい」と感じられるバランスを見極めます。また、「手作り」への強い思いもあります。 型に粘土を流し込む「型作り」は、例えば10個作ると、10個同じ見た目になります。しかし、微調整ができないので1個の完成度は70〜80%ほど。対して、手作りは使い勝手を考えながら手で微調整を行って仕上げるので、1個の完成度が高い。たとえ形がぴったりと揃っていなくても、完璧な10個の器を作ることができます。クールである一方、自然の色や手作りの温もりも感じられる、稀有な存在感粘土を熟知し、最高の状態にして形を完璧に整え、余計な装飾は付けない陶來の器。やわらかなカーブは手にフィットし、持ちやすい。シンプルな形と色は、中のものを美しく引き立てる。見た目より大きな容量は、料理を盛り付けやすい。見た目と実際に持った時の重さに違和感がない。そして、本当に魅力を発揮するのは、使ってこそ。陶來の器の基本は、「物の上質感」。雑で品のない感じの器は、いくら使い勝手が良くても気持ち良くない。日常に目に触れ、手に取るものだからこそ機能的にも気持ち的にも最高に心地良いものでなければいけないという思いの下、作品を作り続けていることが伝わってきます。大沢さんのその思いが形となった器は、陶芸歴35年以上の技術と信念、言わば「作り手の哲学」の結晶とも言えます。

陶來のレビュー

レビューはまだありません。