第三項 【クリエィティブの世界】
■ 『業界・グラフィックデザイナー』
● グラッフィックデザイナーの社会的立場と役割の歴史的推移
日本における現在のグラッフィックデザイナーのルーツは、映画の看板屋さんです。美術学者、日本画家、画商に管理支配されていた美術界において、長らくグラッフィックデザイナーは日陰の身でした。つまり、グラフィックデザインはアートとしての価値を認められなかったと言えます。
このような状況を打破したのが、今は無き亀倉雄策氏や田中一光氏を筆頭とする多くのグラッフィックデザイン会の巨匠達です。彼らは日本よりはるか先にグラッフィックデザインを現代美術として認めていた海外において、公正かつシビアなコンペテションで何度も賞を獲得し、大きく評価され、世界的なアーティストとしての立場を確立しました。世界で評価されたアーティストを無視するわけにいかなくなった日本の美術業界は、渋々モダンアート系のデザイナーの存在に寛容になってきました。
こういった状況において日本は高度経済成長を遂げ、広告需要の高まりと共にグラフィックデザイナーのニーズも急騰し、資生堂の中村誠氏のような数多くの花形デザイナー達が活躍するようになりました。グラフィックデザイナーの需要が高まるなかで、当然のようにデザイン業界のボトムアップが図られ、デザイナーの全国組織であるJAGDA(Japan Art Graphic Designers Association)ができあがり、デザイナーの職業は確固たる地位を確立しました。戦後すぐのデザイナーの社会的立場から比較すると、まさに自分たちで勝ち取った自由と権利と言えます。
確固たる社会的立場を獲得したグラフィックデザイン界の中でも、何人かのトップデザイナー達は建築の監修やコンペテションの審査員を務めるなど、グラフィックデザイン以外のクリエィティブの世界でも活躍するようになりました。その結果さらに、グラッフィックデザイナーの社会的な地位は高まり、幅広い業界で自由に能力を発揮できる環境が整って、現在にいたっています。
また、単純に経済社会の中での地位を確立し経済的に恵まれたポジショニングを獲得するばかりではなく、杉本吉武氏のように平和アピールなどの社会派の作品を数多く世に送り出し、全世界で圧倒的な評価を得ているデザイナーがいることも日本のデザイナー界の奥の深さを感じさせます。



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