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お歳暮 2008 取り寄せスイーツ
  • 113 月

    第三項 【広報業務・リスク&教訓編】
    ■『最後の砦・「法」と「人情」』
    ●法的段取りと考え方

     社会における基本的な問題解決の方法は、個人でも法人でも話し合いです。しかし時には話し合いでは解決できない問題や、はなから話し合いに応じようとしない相手に直面する事もあります。そういった場合は社会の基本ルールにそって、司法の場で決着をつけざるをえません。ただし多くの日本人が誤解していることですが、司法の場は社会正義の実現と基本的人権の擁護を「目標」としていますが、それはあくまでも「目標」であり必ずしも100%正義が通る場ではないの現実です。そういう未完成な法の場で仕事を組み立てるための若干の注意事項をここでは説明しておきましょう。
     まず第一に司法の場は宗教や哲学のように、人間存在そのものまで言及し神のような判断をする機関ではないことを認識しましょう。幼稚園などでは、先生が砂場で遊んでいる子供達を客観的に見守って、弱い子を虐めて砂をかけるガキ大将を叱ってくれますが、司法の場では砂をかけたガキ大将が勝利するケースも少なくはありません。法律を大げさに考えてはいけません。法律は社会という枠組みの中大勢の人間がトラブル無く平和に暮らせるための便宜上のルールです。つまり、スポーツやゲームのルールと同じです。それを守らなければゲームは成立しませんが、あくまでもルールでありルール自体が豊な社会生活を送るための哲学的指針ではないのです。単なる便宜上のルールですから「人は何故道路の右を歩くべきか」と言うことを哲学的に科学的に考えて作られたものではありません。特に日本の法律は自分たちで試行錯誤して創造してきたものではなく、明治時代というはるか昔、諸外国のものをコピーしてきたものなので色々な問題があります。
     なんども繰り返しますが法律は「社会の便宜上のルール」でしかないのです。多くの日本人は法律家は崇高な人格者であり正義そのものであると思いこんでいますが完璧な誤解です。司法試験の科目に哲学や神学はありません、まして芸術や文化に対する造詣の深さや豊かな感受性などは勉強の邪魔になるばかりでまったく必用のないものなのです。法律家は修行僧や哲学者ではありませんしもちろん神でもありません。日本人の多くは人間的なレベルの高さと社会的な地位を混同して理解しているようです。
     そして、ほとんどの人がトラブルにまきこまれてはじめて思います。「それは無いでしょう裁判長!」と、、、。

     裁判の組み立ては基本的に帰納法に基づいています。相手の悪いところをあれこれいっぱい並べ立てても何の意味もありません。起訴する時もされる時も必ず、横領とか背任とか錯誤などという主たる理由がありそこにむかっての主張があり、それを裏付ける証拠を準備しなければなりません。人間的に悪い奴だとか、迷惑な奴だとみんなが思っていても裁判の勝ち負けにはなんの影響もありません。したがって法廷で勝利するためには、日頃からリスクへの対処の仕方として、法的な論理構築や証拠集めを帰納法的に組み立てられるような訓練と慣れが必用となります。
     大きな会社には法務課があり、それぞれの分野に精通している弁護士がいて、各分野毎にチームを組んで対処出していますが、小さな会社ではそういうわけにはいきません。それならばどうするか?ここでもノウハウではなくノウフウを活かしてください。日頃から多くの弁護士に接するチャンスを作り、いざというときに備えましょう。
     正直言いまして、弁護士にも得意不得意があり何でも知っているというわけではありません。離婚と交通事故と遺産相続しか経験したことがない地方の弁護士もいます。かと思うと、アメリカの弁護士事務所のように証券・金融部門、不動産部門、企業買収部門、特許部門など、分野別のエキスパートを100人単位で揃えている弁護士事務所もあります。
     世の中はどんどん進化し、専門化しています。自分の会社にはどういった分野の弁護士が必用なのかを早めに分析し、それぞれの分野に精通した弁護士と日頃から密なコミュニケーションを育むことが大切です。

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