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お歳暮 2008 取り寄せスイーツ
  • 143 月

    四の章 エピソード④ 「風に吹かれて」

    『絶妙のタイミングで支配人の小笠原がフルーツを手に、如才のない笑顔を浮かべながら客の前に現れた。』

     山奥温泉旅館の洋食部門調理長の田崎は、団体の客の夕食の仕込みを終えて屋上に一服をつけに来た。マイルドセブンを一本取り出すと風よけのために煙草に手をかざして100円ライターで火を点けた。大きく紫煙を吸い込むと緩やかに口から吐き出した。遠くの山並みはほんのりと雪化粧し、紅葉の鮮やかな色に滲む白は妙な寒々しさとともに昨日の出来事を田崎の脳裏に蘇らせた。
     「お客さんが怒って、調理長を呼べと言ってます」血相をかえて仲居が調理場に飛び込んで来たのは、宿泊客の夕食がだいたい落ち着く午後9時だった。
     仲居のただならぬ状況を察しコック帽を握りしめながら客のテーブルに近づいていくと 「ひどいねぇ。これ、詐欺じゃない?これで金取るなんてひどすぎますよ」その客はいきなりまくし立てた。客は遠方からの客ではなく、田崎も顔をなんとなく覚えている、この山奥温泉郷の麓の街に開業する外科医だった。
     「そりゃね、期待してないよ、こんな山奥だもの旨いものは!ただしねあまりにもひどすぎるよ味がどうこうじゃなくて嘘がね」
     その客の言い分はもっともだった。あらかじめ予約を受けていたワインは、保存状態が悪かったらしく酸化している。テリーヌに使われているフォグラはチキンのレバーペースト。キャビアは完全な偽物。松坂とメニューに書いているサーロインは輸入物。
    「何が悪いんだ日本の食品業界はそんなもんさ、客も店側もどっちみち何も分かってないんだから、だいいちうちの温泉は循環式の沸かし湯だそれがありがたくて来てるんだろう。ジオネラ菌でそのうち死ぬぞ」とわけのわからない反論を心の中で呟きながら、田崎は唇をぐっと結び客の話に耳を傾けると共にひたすら頭を下げ続けた。
    いつもながらの通り一遍の客の説教を聞き、客の腹の虫がおさまったあたりに、頃合いをみはからって支配人の小笠原がお詫びのフルーツを運んできた。
     厳しいご時世、本物で勝負など夢の夢、何も分かっていない日本人に本物を出してもネコに真珠、豚に小判なのだが、たまに、ごくたまに僅か数パーセントの確立で口の肥えた客に見抜かれる。そして、見抜かれる確立も予測して、お詫びに出すフルーツも原価に取り込んで利益計算しているところが、この温泉旅館の経営者のしたたかさにだ。鬼のような経営者はいつも田崎に言う「ほとんどの客は蟹、海老、アワビ、ステーキという言葉のイメージだけで納得してるだけで本物を見抜く眼は無い、循環式の偽温泉に入って心が癒され満足して帰っていく、それで良いのだ。誰も傷つかないし格安の料金で喜びを感じることが出来るのだ。それが日本の常識だ。日本の観光なのだ」
     そういうわけだから支配人と田崎の怒りまくった客に対する対応も実に慣れきったものとなっていた。田崎がひたすら頭を下げる虐められ役、少々客の興奮が収まったあたりで如才のない笑顔で支配人の小笠原がフルーツをもって現れる。おきまりの火消し作業だ。この晩も定石通り客の怒りは収まり田崎と小笠原は目と目を見合わせながら、ふっと口から息を吐いた。
     しかし、田崎の心は強烈に荒んでいた。嘘でも客が喜んでくれればそれで良いと思っていたが、その日田崎は大切なことに気がついた。偽物を出すには本物を知らなければ何が嘘なのかわからない。客を騙しているつもりが、嘘と本物が自分にはそもそも何も分かっていないのだ。自分はフレンチの料理人だと思っているが、フランスに行った事もなければフランス語も話せない。いや、フランス語どうこうじゃなく標準語すらまともに話せないのだ。高校を卒業して地元のホテルに勤め、地元の温泉旅館に料理長として引き抜かれ、調理場では若い連中を怒鳴り散らしている自分があまりにも惨めで哀れに思えてきた。外の風に当たることなく小さい社会で威張り散らし、客ばかりか自分自身すら欺いて生きている自分にようやく気がついた40男は、短くなった煙草を灰皿に押し潰しながら呟いた。「旅に出よう。外の冷たい風に吹かれよう。そして自分をみがこう、まだ遅くない」と、、、、、。

  • 133 月

    第三項 【広報業務・リスク&教訓編】
    ■『広報マン永遠の職業病・板挟み』

     最後になりましたが、広報マン永遠の課題である「板挟み」についてお話ししておきましょう。
     広報マンは長生きできないと業界ではよく言わます。広報マンが抱える多くのストレスの中で、どの会社でも共通でかつ一番大きな悩みが「板挟み」ではないでしょうか?
     卵サンド、ツナサンド程度なら良いのですが、広報マンの「板挟み」はチーズ入り野菜サンドのマヨネーズのように、その立場は複雑を通り越しペースト状にドロドロしています。野菜サンドのマヨネーズと言うよりは、おせち料理のお重の仕切のような立場と言った方が適切かもしれません。前には厚焼き卵が、後ろには栗金時がべっとりと仕切である広報マンに接してそれぞれが勝手な主張をしているような感じです。
     会社の為によかれと思って取材を受け入れれば現場からは文句が出る。現場の対応が悪ければ取材に来たマスコミには話しが違うと文句を言われる。印刷物を作るために、社内の意見をまとめなければならないが、各部署の主張が強すぎてどうにもまとまらない。印刷物の納期はどんどんせまり、見切り発車をすれば文句が出る。せっかく作った印刷物に小さな誤植でもあったら大変、鬼の首をとったように社内外から罵声をあびる
     こういったケースはしょっちゅうで「板挟み」が生み出すストレスはひっきりなしに広報マンを襲います。何故広報マンは板挟みになりやすいのか、そしてそれは何故改善されないのか主な理由は以下の通りです。

    1. 「世論」「マスコミ」「営業」「現場」など立場が違う複数の意見を尊重して仕事を組み立てなければならない。違う立場の仲裁役ならば気が楽であるが、絶えずそれぞれの立場の当事者であり敵対者の両側面のバランスの上で仕事を組み立てなければならない。
    2. デザイン、コマーシャル、CIなどという極めてな感覚的な仕事が多いため、社内外ともに個人レベルの好みで意見を言ってくる場合がほとんどである。そしてその問題は仕事の前の意見のとりまとめ時も、仕事の後でも絶えずつきまとう。他人の意見に素直になればなるほど良いものは出来ない。他人の評価を気にし始めたら際限のない苦しみを背負ってしまう。
    3. 経営トップの意志を代弁する機会が多い。そのためその意志に反対の意見を持つ社員がトップには口に出せない事を広報にぶつけてくるケースが多い。
    4. 好むと好まざる関わらず、多数の個性的なマスコミの人間とつき合わざるをえない。そしてその関係は対等であるケースは非常に少なくかなり奴隷的な場合が多い。
    5. 接待の機会が多く、複雑な人間関係の中で絶えず相手に気配りをし、意見を合わせざるを得ない場合が多い。
    6. 仕事がハードであるとともに、非常に派手な側面も併せ持っているので、内情を知らない人間は表面的な派手さに憧れたり嫉妬したりする。
    7. 何の仕事をしているのかごく普通の社員には理解できないので社内評価を得ずらく、経営的にも極秘事項に接する場合が多く、いちいち言い訳していられない。

     等々があげられますがこれらの問題は解決できることではなく、広報マンの持病あるいは職業病と思って、ストレスを緩和しながら気長につき合っていかざるをえない問題であると思います。広報マンのストレス対策は以下の点がポイントです。

    1. 社内、社外を問わずコミュニケーションを楽しめる人間になる。
    2. 仕事の目的をはっきりさせる
    3. 社内外に一人でも多くの理解者を増やす
    4. 完全主義に陥らない。100点満点は狙わない。ミスは当然、85点人間をめざす。
    5. 人は心に善悪を併せ持ち、人とつき合うと言うことはその両方とつき合うことであると認識する

     自分なりのストレス解消方法を見付けることは、痔持ちの人が座薬を、胃潰瘍気味の人が胃薬を持ち歩くようなものです。なんとか自分なりのストレス解消方法を見つけ出し、ポジティブに仕事に取り組まれることを願ってやみません。

  • 123 月

    第三項 【広報業務・リスク&教訓編】
    ■『最後の砦・「法」と「人情」』
    ●世論・理論・人情

     人は情で動く動物です。もちろん科学的情報に基づいた判断も出来ますが、新聞記事やテレビのニュースを見て、その都度ニュースの裏付けとなる資料を集めて科学的に分析し自分の意見をまとめる人はほとんどいません。たまに物知り顔でニュースの解説をする人もいますが、それは学術的、科学的な分析とは無縁の自慢話です。
     ほとんどの人が、メディアから情報を入手しその情報を感情にすりかえ、何パターンかの感情の引き出しに分類して保管します。そしてその引き出しの種類は意外と少なく「怒り」「同情」「恐怖」「愛情」「友情」「希望」という程度のものです。そしてそれらの感情を引き出すのが俗に「アイドマの法則」と呼ばれる(attention=注意)(interest=興味)(desire=欲求)(memory=記憶)(action=行動)の五つの要素です。
     受け手側の感情が引き出される際の引き金がこの四つの要因だとすると、記事を書く側のマスコミにとっても当然、人を惹き付けることが出来る記事かどうかの内容チェックのための五大要素がこのアイドマの法則と言うことになります。つまり人間はアイドマの法則の五つの要因を含む「情報」で「感情」を喚起され、生まれた感情を自分の感情の引き出しにしまい込んで情報の価値を判断しています。そこには科学的情報が介在する余地はなく、感情の引き出しがあるだけです。
     結論を言いますとほとんどの人間は、社会の事象を科学的な判断によらず感情だけで判断しているのです。特に個人の自立意識が低い文化的行進国ほどその傾向が強いようです。この感情だけで物事を判断する人達を「大衆」と呼びます。中にはインテリと呼ばれる学究的な人がいて、興味を持った事象を掘り下げるために関連図書を調べたりインターネットを検索したりしますが、その興味の範囲はごく限られた範囲のもので、情報の総てを総合的に科学的な判断をしている人はほとんどいません。
     こうなると幅の広い大衆向けの情報は、数字などの科学的な情報はもっともらしさの演出のための裏付けと考え、情報の組み立ては感情をコントロールすることに主眼を置いたものがベストと言うことになります。
    実を言いますと、一般大衆ばかりか一流と呼ばれているジャンーナリストも、ほとんどの人が感情を主として動いているのが現実です。俗に言う六大紙と呼ばれる新聞の社説などは、タイムリーに事件に対する新聞社の姿勢を打ち出さなければならないので、十分に時間をとった科学的な検証を経ずに記事を書かざるを得ない場合が多く、一見冷静で論理的な文章も書く以前に特定の感情に支配されている場合が少なくないようです。
     そのために各社の社説は日本を代表する優秀なジャーナリストの方々が書いているにもかかわらず、読み比べてみると事象にたいする賛否が、何の科学的裏付けも無く両極端に分かれてしまいます。
     このようにどんなに客観的報道を標榜する一流のジャーナリストも、どこかでは感情の支配を避けられないのです。感情に流されないのは、金でしか動かないブラックジャーナリストぐらいかもしれません。
     情報の受け手も送り手も感情に支配されるとなると、世論は理論ではなく感情ということになります。世論とじっくり取り組む、真正面から向き合うためには情のコントロールが総てです。情と向き合うということは一人一人の良識の琴線に丁寧に問いかけることです。広報マンにとって問いかけるべき対象はマスコミ関係者です。マスコミの人間はごく一部に悪もいますが、そのほとんどは良識的な識者です。充分な時間を割いてつき合っても、決して損のない人ばかりです。一人一人の情と向き合い、結果として得られる幅広い人脈が、いざという時の世論そのものになるのです。

  • 113 月

    第三項 【広報業務・リスク&教訓編】
    ■『最後の砦・「法」と「人情」』
    ●法的段取りと考え方

     社会における基本的な問題解決の方法は、個人でも法人でも話し合いです。しかし時には話し合いでは解決できない問題や、はなから話し合いに応じようとしない相手に直面する事もあります。そういった場合は社会の基本ルールにそって、司法の場で決着をつけざるをえません。ただし多くの日本人が誤解していることですが、司法の場は社会正義の実現と基本的人権の擁護を「目標」としていますが、それはあくまでも「目標」であり必ずしも100%正義が通る場ではないの現実です。そういう未完成な法の場で仕事を組み立てるための若干の注意事項をここでは説明しておきましょう。
     まず第一に司法の場は宗教や哲学のように、人間存在そのものまで言及し神のような判断をする機関ではないことを認識しましょう。幼稚園などでは、先生が砂場で遊んでいる子供達を客観的に見守って、弱い子を虐めて砂をかけるガキ大将を叱ってくれますが、司法の場では砂をかけたガキ大将が勝利するケースも少なくはありません。法律を大げさに考えてはいけません。法律は社会という枠組みの中大勢の人間がトラブル無く平和に暮らせるための便宜上のルールです。つまり、スポーツやゲームのルールと同じです。それを守らなければゲームは成立しませんが、あくまでもルールでありルール自体が豊な社会生活を送るための哲学的指針ではないのです。単なる便宜上のルールですから「人は何故道路の右を歩くべきか」と言うことを哲学的に科学的に考えて作られたものではありません。特に日本の法律は自分たちで試行錯誤して創造してきたものではなく、明治時代というはるか昔、諸外国のものをコピーしてきたものなので色々な問題があります。
     なんども繰り返しますが法律は「社会の便宜上のルール」でしかないのです。多くの日本人は法律家は崇高な人格者であり正義そのものであると思いこんでいますが完璧な誤解です。司法試験の科目に哲学や神学はありません、まして芸術や文化に対する造詣の深さや豊かな感受性などは勉強の邪魔になるばかりでまったく必用のないものなのです。法律家は修行僧や哲学者ではありませんしもちろん神でもありません。日本人の多くは人間的なレベルの高さと社会的な地位を混同して理解しているようです。
     そして、ほとんどの人がトラブルにまきこまれてはじめて思います。「それは無いでしょう裁判長!」と、、、。

     裁判の組み立ては基本的に帰納法に基づいています。相手の悪いところをあれこれいっぱい並べ立てても何の意味もありません。起訴する時もされる時も必ず、横領とか背任とか錯誤などという主たる理由がありそこにむかっての主張があり、それを裏付ける証拠を準備しなければなりません。人間的に悪い奴だとか、迷惑な奴だとみんなが思っていても裁判の勝ち負けにはなんの影響もありません。したがって法廷で勝利するためには、日頃からリスクへの対処の仕方として、法的な論理構築や証拠集めを帰納法的に組み立てられるような訓練と慣れが必用となります。
     大きな会社には法務課があり、それぞれの分野に精通している弁護士がいて、各分野毎にチームを組んで対処出していますが、小さな会社ではそういうわけにはいきません。それならばどうするか?ここでもノウハウではなくノウフウを活かしてください。日頃から多くの弁護士に接するチャンスを作り、いざというときに備えましょう。
     正直言いまして、弁護士にも得意不得意があり何でも知っているというわけではありません。離婚と交通事故と遺産相続しか経験したことがない地方の弁護士もいます。かと思うと、アメリカの弁護士事務所のように証券・金融部門、不動産部門、企業買収部門、特許部門など、分野別のエキスパートを100人単位で揃えている弁護士事務所もあります。
     世の中はどんどん進化し、専門化しています。自分の会社にはどういった分野の弁護士が必用なのかを早めに分析し、それぞれの分野に精通した弁護士と日頃から密なコミュニケーションを育むことが大切です。

  • 103 月

    第三項 【広報業務・リスク&教訓編】
    ■「鬼ばかりの世間と大家族主義」

     前項で敵は身内にありとお話ししましたが、大きな事件の起爆剤となるケースが非常に多いのが取引業者がらみのトラブルです。
     長らく終身雇用システムが常識だった日本の会社組織に置いて、自然に根付いたのが社内と社外の人間を、身内と他人という概念で分ける身内意識です。そしてその中間で非常に曖昧な政治的スタンスで存在するのが取引業者です。
     お金の流れだけで考えますと、ターゲットはエンドユーザーなわけですから、取引業者は完全なる運命共同体なわけですが、現実には平等な身内と言うよりはどこか僕的イメージが払拭できないのが日本の現状です。取引業者は取引が長くなればなるほど絆の強いパートナーであり、大家族の一員であるはずなのですが、そういうポジショニングにおかれていないのが現実でしょう。
     企業は色々な矛盾を抱えて経済活動を行っていますが、この矛盾という澱は弱いところへ蓄積していきます。必然的にヘドロのように、物言わぬ取引業者のところに長い間堆積されていきます。その堆積したヘドロがいつの日にか起爆剤となって大爆発を起こします。「内部告発文書」「怪文書」の発信元のほとんどが社内か、本来愛すべき家族であるはずの取引業者のことが多いのではないでしょうか。
     怪文書程度ならばまだ良いのですが、贈収賄、背任、横領など、顔なじみのお取引業者さんが事件の当時者であることも珍しくありません。
     お金の流れが複雑であればあるほど、仕入れの窓口の担当者の在任が長ければ長いほど、腐敗臭を伴った澱が沈殿していく可能性は高く、邪悪な魔の手が伸びてくる確率が高いと言えます。そういったことは人の世の常で、損得勘定が絡んでいるので「ある程度は仕方がない」と達観したがゆえに、沈んでいった会社はいくらでもあります。もし会社にそういうルーズな一面が見え隠れする場合は、命取りになるような大きな事件に発展する以前に悪い芽を取り除く必用があります。
     つまり、小さな不正も見逃さないモラル作りと組織作りは社内だけの課題に留めずに、一番のパートナーである取引業者を交えて、大家族で構築していかなければならないということです。一日も早く取引業者を「他人」ではなく「身内」の関係に変えていく必用があります。そのためにはまず金ありきではなく「おもいやり」と一緒に商品と金を流すべきです。「おもいやり」という血液が流れていれば、情報や感情の循環は良くなり健全な経営体制が確立されます。
     現実的な取り組みで考えれば、情法交換やコミュニケーションをはかれる場として、お取引業者さんの集まりである「友の会」の組織化がまず最優先の仕事でしょう。日本の場合意外とこの「友の会」についての組織論を解説した著作は少ないのですが、日本的経営において、感情と情報のコンセンサスのない烏合の衆のような取引業者を抱えた企業は必ず破綻すると言っても過言ではないでしょう。逆にポジティブに組織化された取引業者はビジネス成功の根幹であるとも言いきれると思います。
     日本の自動車産業の成功は、まさしく「系列」という友の会組織の確立にあると言えます。各業種毎の新しい「友の会」組織の確立が論議される時代が来たと言えます。
     それは未来へ向けてのポジティブな試行錯誤であるとともに、重要なリスク対策として人情と情報の両側面から取り組まなければならない課題です。