「南部鉄器」という名前にはどんなイメージがありますか? 「本物の鉄なので、料理やお茶がおいしくできる」「丈夫で長持ちしそう」という利点の反面、 「お手入れが難しそう」「錆びが心配」といった不安を感じる面もあるかと思います。 でも、上手に使うコツさえ守ると、南部鉄器は素晴らしい生活の道具となるのです。 鉄瓶でわかしたお湯、鉄のフライパンで焼いたお肉のおいしいこと! 400年以上使い続けられている、「本物」には理由があるのです。
もともと、岩手県は鉄器作りに必要な鉄資源と木炭が豊富な土地で、昔から鉄器が製造されていました。
それが「南部鉄器」という名で知られるようになったのは、江戸時代に入ってから。 戦乱の世が終わり、安定した世の中になったことで、茶道などの文化が発展したことがきっかけです。
時の南部藩主が茶の湯釜の作成を依頼するために、京都から盛岡に釜師を招きました。 その釜師は、良質な地元の鉄と砂を用いて湯釜を作りました。 以来、南部藩は日本各地から多くの鋳物師、釜師を召抱え、保護育成に努めました。
また、現在の奥州市にあたる伊達藩も鉄器づくりを熱心に保護、奨励し育成に努めました。 それにより、岩手の鋳物作りは発展を続けました。
そして、18世紀になり、あるお抱え職人が茶釜を小ぶりにした「鉄瓶」を考案し、それが手軽に使える湯沸かしとして普及しました。 この鉄瓶の製作が、茶の湯の道具から日常の道具としての「南部鉄器」が生まれるきっかけとなったのです。
その後、鉄瓶以外の日用品も作られるようになり、ますます「南部鉄器」は人々の日常に根ざした工芸品として、発展を続けました。
その結果として、昭和50年には国から伝統工芸品第1号の指定を受けました。
さらに、最近ではその高い品質と実用性が評価され、アメリカのMoMA・ニューヨーク近代美術館のカフェや パリの紅茶専門店など、海外でも南部鉄器が使われています。
時代や国が異なっても、人々が使い続ける「本物」の良さが南部鉄器にはあるのです。